daihyouto

1  大学生の頃から

kawa私は大学生のころに、

ここ(静岡市清水区両河内)に住み始めたんですが、

その時の想いは、「ここは素晴らしいでしょ!?」

「俺って楽しんでるでしょ!?」

って周りに知ってほしかったんです。

 

でもね、最初のころは、アユを採っていたら

「おまえ食費がねぇのか?」とか言われたし、

まきストーブやってたら、

「電気代払えなねぇのか?」って言われたりね笑。

 

でも、最近は、地元の先輩たちも、変人を見る目から

温かい目で僕たちを見てくれるように、変わってきました。

いつもいろいろ助けてもらい、地域でイキる幸せを感じています。

私は、高校時代までは富山ですごし、

高校はノーベル賞の田中さんの母校に通っていたけれどね。

そこで私はちょっとグレてましてね笑。

何も将来の夢もなく、ちょっと自分なりにツッパっていきていました。

 

それで一浪をしたんだけれど、模擬試験でたまたまB判定、

あ、ここいいかもっ!?それで静岡県立大へにいったわけです。

 

2 山荘での書生時代に

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両河内ってこの地域はね。特別な出会いがあったんです。

大学のT先生がこの地域に山荘をもっていて、そこに私は無謀にも

転がり込んだのです。そして、T先生に弟子入りして山荘の管理人をしていたんです。

 

6年(22歳~27歳くらいまで)もこの山荘で書生をして暮していたわけで、

できるだけ電気とガスを使わない生活をしていました。

 

その時、調理師免許を取り、陶芸も学んだ。

お茶工場のアルバイトと家庭教師で、その年収100万円時代に結婚もしました。

 

いまのこの自宅の家も借りることが決まったので、結婚もしようと。

しかし、当時の奥さんのご両親は大反対、その時、T先生が説得してくれた・・・。

 

2006年(平成16年) それから3年。

そのころ学習塾には15~16人の生徒がいて、

キコリのアルバイトとお茶のアルバイトもしていたので、収入も安定してきました。

そのころは、野菜を作ったり、家のリフォームを手づくりでやったり、

梅干し作ったり、キャラブキ作っていたりして充実していました。

 

そして、お茶の生産量が減ってくるとアルバイトが少なくなってくる、

塾の生徒も減ってくる、自分の子供が大きくなってくると、

「このままでは暮らせないんだっ!」

てのが、わかってきて、起業のきっかけを感じていたのです。

 

3   ちょっとした「思い立ち」

daihyouそれは平成20年(2010年)。

あるとき、地域に新しい林業会社が参入することになり、その立上げに加わり、

補助金の申請業務をしていました。そこで、

自分の中でのイメージしていた方針が合わなくなり、

このままでは何か違うなと漠然と思ってたんです。

 

外モノが無造作に林業をやっていくというのは、山林の資産を収奪していくことなんだと感じて、

それはやっぱり「地元には受け入れられないな」と、そう思って、

自分でやろう!と思い、ソマウッドを立ち上げたのです。

 

その時に学んだのは、「えいや!」で会社ができるんだ、

ちょっとした「思い立ち」でできるってことがわかったし、

仕事の方針は自分で決めるものであり、

外モノが決めた方針を遂行するだけ、というのであれば、

この地域だと難しいとも感じたりもしました。

 

書生時代、山荘の管理人をやっているときに、

僕は、林業は「石垣正喜(いしがきまさき)」という人から教わった。

僕のもう一人の師匠です。

実は、ここから10分のところに住んでいるんです。

 

清水森林組合にいったら「S-GIT」というグループがあるから、と紹介され

『伐木と造材のチェーンソーワーク』(全国林業改良普及協会)というチェーンソーのマニュアル本も出しています。

すごく勉強させて頂いたのです。

 

4    現代の山守になっていく

 

yamamori僕はね、独り身の時、結婚した時、

子供が出来た時で、地域の信頼度の

上がり方が変わってきました。

この3段階で、あがってくるんですね。

 

そこで商売をしよう!とすると

また壁がでてくる。

さぁ、やるならやってみろ!

っていう真剣な目で見てくるんですよね。

 

そう、地域貢献で一番大事なのは、

結婚であり、出産である、その次が、起業であり雇用なんですよね。

普通はね、起業してみて、そのあとに、結婚とか子供とかあると思うけれどね、

うちはね、逆なんですよ。

 

でも、女房の両親には反対されたんだけれどね、

つらい時代に、つらい時代に頑張ったから、素晴らしいんだ。

出来あがってから暮すとね、壊れることのは早いんだって師匠であるT先生に教わったんです。

 

「お前大丈夫か?」って確かにいわれます。

私の知人、心配してくれる人たち、それってどうなんだろうか。

負け組としてみている。社会全体の風潮としてそうある。

 

でもそれって自分の意思で生きていない人たちに

「お前大丈夫か?」っていいたくなるものです。

 

family私は、林業だけじゃなく、林業+αってのがあるけれど。

暮らしそのものがオリジナル、

もはやオリジナルを追究するしかないんです。

 

そういう意味で、現代の山守になっていく。

 

固定客をしっかりつくっていくしかないね。

「お前任せるわ!」っていう人をソマウッドから作るしかないね。

平成25年7月某日 談

写真提供:キシル